2017年6月25日日曜日

6月25日の日記:中沢新一の築地論

中沢新一さんが今日(2017年6月25日)の朝日新聞の読書のページに、3冊の本を紹介しながら築地市場について語っていたのを読んだ。「人間と自然が共存する聖域」という見出し。(web版はこちら
私は築地市場には行ったことがないし、いわゆる築地問題になんらコミットしていないので築地問題そのものについて何かを言う立場にないのだけど、この文章は悪い意味での「ポエム」だなあと思った。意味ありげな表現はあるけれど伝達すべき内容がないように見えるという意味で。そういう意味でのポエムじゃないとしたら、宗教的プロパガンダと言おうか。中沢さんの記事は中身がないか、読み取れるとしたら私的な宗教的メッセージが含まれていた。
中沢さんの文章によると、築地市場とは「人間と自然が一体となり、のびのびと活動」する場であり、都の管理する公の市場でありながらそうしたことが可能になったのは「この市場が一種のアジール(聖域)として、外の世界からの影響を直接受けにく」かったかららしい。
ここで言う人間と自然が一体となるとか、築地市場がアジールであるという言葉は私にはその意味がよくわからない。たとえば、漁業資源の持続的な利用がそこで行われているという意味で「人間と自然が一体となる」と言っているのだとしたら、理解ができるけど、たぶん文脈などから推測するに、中沢さんの言っていることはそういうことじゃない。むりやり読むとしたら、中沢さん的なある種の宗教の方面があるかなあと思う。
中沢さんの自作のユーカラ(『芸術人類学』117–127ページ。ユーカラというのはアイヌの叙事詩のこと)では、鯨の神さまが肉として人間に食べられて、人間も鯨もよろこぶというお話が語られている。なので、あるいは記事で言う「人間と自然が一体となる」というのもそういうことなのかなあとは思う。けれど、はっきりとはわからない。少なくともこの文章だけからは受け取れなかった。でもだとしたら、それは中沢さんの宗教的というか神話的というか、そういう独特な理解の仕方であって、築地の魚が人間に食べられて喜んでいるという主張を公の議論に持ち込んで何かを説得しようとするのは、ちょっとどうかと思う。(どうかと思うというのはうまい手段じゃないと私が感じるという意味)
築地市場アジール論の方はもうちょっと意味不明で、アジールというのが比喩なのだろうということはわかるけれど、私には築地市場とアジールとに似ているところがあるようには思われないから、不適切な比喩なのではないかと考える。アジールというのは、外部の法律が適用されない、そこに逃げ込むと犯罪者が罪に問われないような空間のことを言うはずだけど、築地市場がそんな無法地帯だったというような気はしない。(もっとも私は築地を知らないので、内部の人間や詳しい人からしたら「いや、築地はやっぱりアジールなんだよ」ということになるのかもしれない。)
現実的に考えると、市場内部の方針やルールは一定程度内部で決定しているよ、という意味かなとは思うけれど、だとしたらアジールという比喩はちょっと神秘めかしすぎてる(「ポエム」だ)。治外法権的な高度な自治が与えられているはずもないし、内部のことを内部で決定している程度の意味だとしたら、それは現代の他のどんな場所においても程度問題的に当たり前の話なのでは? 築地においてなにが特殊なのかちょっとわからないし、それによってどのような特殊な事態が生まれているのかもやはりまだわからない。(でもやはり私は築地を知らないので……)
中沢さんの文章全体の主張は、築地市場には価値があるから保全するべき、というもので、それ自体は変な主張じゃない 。たぶん築地市場には文化的な価値があるのだと思う。でも中沢さんの文章からうかがわれる(意味があるとしたらこういう意味なのだろうと私が想像した)文化的・宗教的価値は、おそらくなんらかの内輪の世界の価値で私には伝わってこない(価値というのは常に内輪のものかもしれないけれど、より広い範囲に共有される価値ではないと思う)。私としては「人間と自然の共存」という文化的価値観を共有していないし、もし私が何かを決定する立場だとしたら、この情報では築地を残すという方向に行けないよなあと思った。

中沢新一さんの築地論は下記の対談でも述べられているようなので後で読む。もしかしたらこちらを読んだら中沢さんの言っていることがよくわかるようになり、上で私が言ったことを取り消したり修正したりしたくなるかも。紹介されていた三冊の本も読んでいないし。
築地市場を「第二の新国立競技場」にしてはいけない(中沢 新一,森山 高至) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

長くなってしまったので今日の日記はこれだけ。

2017年6月24日土曜日

6月24日の日記:本屋、ウォーキング、書式なしのペースト

午前中は掃除。
午後はアイドルタイムプリパラ第12話「打て!アイドルタイムグランプリ」を半分視聴。虹色にのちゃんはキャラデザだけを観ていた段階では勢いで行動するお気楽キャラみたいな印象だったけれど、本編に登場すると実は意外と小難しいことを考えている中学生だった。この子プリパラの世界に迷い込んだ竜ヶ崎怜ちゃんなのでは?

二時頃に墓参をしてから帰り道に本屋へ。長年お世話になっていた街の本屋だけど、近々閉店してしまうらしいので最後の買い物。入ってすぐの特集のコーナーに、「本屋はなくならない」「本は面白い」などのテーマの本がたくさん並んでいて悲しくなった。住んでいる街から本屋がどんどん消えていく。最後の記念に村上春樹の『女のいない男たち』と仲正昌樹の『現代思想の名著30』を買って帰った。

夕方にウォーキングをしてから少し走った。前回(火曜日)は走った直後から筋肉痛が出て、今日まで痛みが長引いていたので、今日は前回より短めに、ペースもゆっくりと走った。

『キルラキル』というアニメは、悪役の鬼龍院羅暁サイドには近親相姦/同性愛/性的虐待の描写・イメージがあって、それに対して主人公の流子たちのサイドには「健全な友情」とか「異性愛」のイメージ付けがなされているような気がして、そこがかなり嫌なポイントだと思う。気がして、というか、そういう意図があるらしいということを羅暁に洗脳された流子が同性の縫にキスをするシーンで確信した。
近親相姦・性的虐待はともかくとして、同棲愛をそういう「邪悪」な「逸脱」の描写に持ってくるというのはかなりどうかと思う。性の面ではいろいろと信用の置けないアニメだと思う(一目瞭然かも)。
せめて主人公サイド(鬼龍院皐月サイドも含めて)に、明確な同性間の性愛描写が「邪悪」や「逸脱」でない仕方で描かれていたら(蛇崩乃音とか)、単に羅暁が悪いやつだからその性愛描写も悪い描写になるんだよ、ということになったのに。

文章を普通にコピー・アンド・ペーストすると書式もついてきちゃうのがわずらわしいと思っていたのだけど、調べたらMacなら環境設定をいじればデフォルト(⌘+Vのショートカット)で書式なしのペーストができるようになるらしい。かなり快適なので情報をシェアします。↓
これで解放!コピーした文章を書式なしでペーストする3つの方法 - ゼロツク

2017年6月23日金曜日

6月23日の日記:デレステ、エロマンガ先生、キルラキル、ふわっとろ宇治抹茶わらび黒蜜入り

朝からウワーとなっていたのでかなりガッツリ休んだ。
午前中はアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージというスマホゲームを久々に遊んだ。たのしい。諸星きらりさんが元気に踊ってくれるのでえすにも元気になる。

午後はエロマンガ先生第11話、キルラキル第20話〜第22話を視聴。
『エロマンガ先生』は回想回。エロマンガ先生のネット人格が男口調なのは、会話の相手のマサムネ先生が男子だったからそれに合わせたからなのか、それともそれ以前から、ネット処世術的に男性口調で掲示板などの書き込んでいたのだろうか。出会う前から出会っていたというのはお約束的展開だけど盛り上がる。俺の妹がこんなに可愛いわけがないのひとたちが揃って登場してびっくりした。
『エロマンガ先生』にはヒロイン紗霧さんの決めカット(通称紗霧カット)だけを担当する「紗霧アニメーター」という役職があるらしいのだけど、毎回「ここが紗霧カットだな」「ここらへんで来るな」と思いながら観るのが楽しい。今回は爪切りのシーンはいわゆる紗霧カットというやつに含まれるのでは!?と思ったけどどうだろう。

キルラキルは先月初め頃から少しずつ観ていたのだけど、リアルタイムで観ていたときより面白く観ることができている。話がもう最後までわかっているということが、面白さにプラスに左右しているのかもしれない。推しは針目縫さんです。ボクっ子だから。

プリパラの配信最新話も観ようと思っていたけどキルラキルをいっぱい観たのでやめた。

セブンイレブンの「ふわっとろ宇治抹茶わらび黒蜜入り」を食べました。このふわっとろなわらび餅のお菓子のシリーズはいつもは100円でコンビニお菓子としてリーズナブルなんだけど、宇治抹茶わらびは税込み120円で包装もちょっと違って高級路線っぽかった。味はTwitterにもつぶやいたけど、橘真琴くんが秘め続けた凛への苦い感情でした。おいしかった。

2017年6月22日木曜日

6月22日の日記:人間のキャラデザはおかしい、髪の色とか目の色とか

人間の顔は区別できるように作られていないしキャラデザがおかしいとおもう。一つのアニメに目の色も髪の色も同じ人間ばかりいたら覚えられるはずがないし、もっと三白眼とかツインテールとか筋肉とか常につけている髪飾りとかで判別がつくようにしてほしい。ということをお風呂に入りながら考えた。

人間の顔の区別がつかないのは人間に興味がないからで、結局私が悪いのでは?と悩むこともあるのだけど、いや、そんなことは絶対にない、大変興味をもっている相手でも私は顔の区別がつかないぞ、という実例もあるので、興味関心の問題ではないはず。もしかして病気なのだろうか、という予感はあるけれど、病院に行って「あなたは病気です」ないしは「あなたは病気ではありません」といわれたところで、どちらにせよどうにもならないことなのでどちらかはっきりさせようという気は起きない。

個別的な人間とほとんどかかわらない生活をしているので、大抵は困らないのだけど、やはりそれでも時々は困ったことがある。
たとえば顔見知りを意図せず無視してしまうとか、反対に顔見知りだと思って知らない人に挨拶して不審に思われるとか。

私はわるくない、顔で人間を区別する社会慣習がわるい!とやつあたりしたくなることもあるぞ。

「私はあなた方の顔の区別がつきません」とあらかじめ言っちゃえば楽になるかなと思ったけどたいていこの発言は本気に取られないので困りものです。

今日は暑かった。家に帰る途中ふいにエロマンガ先生のEDテーマ(TrySailの「adrenaline!!!」)を聴きたくなったのでその場で250円でダウンロードして聴きながら帰った。TrySailってなんだかハイスクールフリートのOPテーマ歌ってたひとたちに名前も歌声も似てるなと思ってたのですが、似てるんじゃなくてズバリそのものだったみたいです。TrySail(3人組)のひとたちはハイスクールフリート本編にも声優として出演していたからてっきりハイスクールフリートのために結成されたユニットだと思い込んでいたけれどそういうわけではなかったらしい。ハイフリのOPも買おうかな。

2017年6月21日水曜日

6月21日の日記:疲れてサイダーを買って飲んだ

疲れた!以上!!!

疲れてウワーとなったので50年ぶりくらいに自動販売機でサイダーを買った。ダイドー。110円。
炭酸飲料は苦手なのであんまり買わないのだけど甘いものが飲みたくなった。飲んだら思ったより炭酸が強くなくて甘くもなかったので「飲みやす〜い」と言った。

なぜ人間は気温や気圧に精神を左右されるのか?
鋼鉄の肉体(環境に左右されないという願いを込めた比喩)がほしい。

2017年6月20日火曜日

6月20日の日記:レジュメ8000字、キルラキル、ジョギング

今日は8000字書いた。筆が乗りすぎたし、今まで書いた部分をいろいろ縮めなくてはいけないような気がする。それでいて、まだ書く予定の内容が30%くらい空白のままになっている。間に合うのかなあ。疑わしい。
昼下りのちょうどいいところで散歩に出たかったのだけどずっと書いていたので出かけられなかった。

夕方にキルラキルの第20話を半分くらい観た。鬼龍院羅暁はディズニーの悪役みたいでかっこいい。

まったく運動していなかったので、夕食後に2キロだけ走った。たぶん走るのは半年ぶりくらいだと思う。

眼鏡のフレームが歪んできているし、レンズも傷がついて全体的にひどい有様になっているので早めに買い換えたい。次買うならインテリっぽい眼鏡がいい。外見だけでもインテリになりたい。

2017年6月19日月曜日

6月19日の日記:レジュメ3K字を書いて老人と鴨を見た日

レジュメ。今日は3千字。当日までにはどうにかなりそう、という根拠のない予感。

やはり一日家にこもっているより、休憩をかねて散歩に出るほうがよいと思ったので、夕方に散歩。川沿いを歩いていたら見知らぬご老体に「変わった鳥が飛んでいますね」と話しかけられて、見たら鴨だった。そんなに変わっているかなあと思いつつ、「この川はいろいろな鳥がいますね。鷺なんかも飛んで来るんですよ」という話をした。会話はほぼそれだけで別れたけど、その後しばらく鳥のことが気になって、道々の電線にオナガ(?)やシジュウカラ(?)が止まっているのを観た。鳥類にくわしくないので確かにオナガやシジュウカラだったかはわからない。

午前中は京あかが見たくてゆるゆりの単行本を1巻から15巻まで読んだのだけど、なんだこの漫画は、おかしい、おもしろすぎると思うことになった。歳納京子さんと赤座あかりさんが仲がよろしくてかわいらしい。
あと宝石の国も読んで無性学苑ハーレム百合漫画!と思った。

2017年6月18日日曜日

6月18日の日記:レジュメ、イベリコ豚、モヤモヤさまぁ~ず

今日は二千字弱だけど内容的に詰まっていた箇所が進んだのでよしとする。
かなり疲れがたまっている。もしかすると風邪かもしれない。
昨晩は早めに寝たし、今日は昼寝もしたので頭の疲れは感じないけれど、身体がだるい。だるいと集中が長続きしない。やっぱり毎日コンスタントに同じ字数を書くってできませんね。

夕飯はイベリコ豚を食べました。脂が不飽和脂肪酸でオリーブ油と同じうんぬんという情報を事前に読んで「そんな大げさな」と思っていたけれど、いざ口に入れたら脂の甘味が口の中にふわっと広がって、それがぜんぜんしつこくなくサラサラと夢のようになくなって、豚すごいと感動した。

夜はモヤモヤさまぁ~ずを観た。今日は先週に続いてパリ。ラーメンやトリュフやフォアグラやケーキやバゲットを食べていて美味しそうだった。楽しかった。でも、この番組は長年見続けているけど、1時間半になってから取れ高を稼ぐために引き伸ばしているなと思わせるシーンが心なしか増えたように感じてそこがちょっと残念(1時間の番組から1時間半の番組に変わったのももうずいぶん前のことだ)。今回はそのように感じるシーンはありませんでした。

今書いているレジュメが終わったら、ずっと更新していないゆるゆりのブログでゆるゆりのトイレ回特集記事を書きたい。絶対に書きたい。画像も引用する。私はゆるゆりのトイレ回に興味があるひとなので……

NHKスペシャルの睡眠負債の特集を予約している。私は睡眠に興味がある。数年間朝日が登ってから眠る生活を続けていたことがあるのだけど、そのときは相当めちゃくちゃなことになって、頭も身体もつらかった。スマートフォンの睡眠アプリで睡眠を管理し始めてからは、当時ほど体調や精神がめちゃくちゃになることはなくなりました。睡眠は大事。

2017年6月17日土曜日

6月17日の日記:レジュメ、ドキュメント72時間

レジュメ。今日は2000字しか進まなかった。
ドキュメント72時間のモスクの回を観た。おもしろかった。
今日は暑かった。
ボーっとしてばかりでぜんぜん頭が働かない。たぶん昨晩寝るのが遅かったせいか、あるいは暑くて夏バテ気味なのか、連日のPC作業で疲れているのか、それともまったく未知の理由か、あるいはこの中の任意の原因2つ以上の組み合わせによるものだと思う。
とりあえず進んだは進んだ。

お昼ごはんのあとにスナック菓子のカールを食べた。きっと人生最後のカール。おいしかったです。

2017年6月16日金曜日

6月16日の日記:レジュメ、アイドルタイムプリパラ、エロマンガ先生

今日もレジュメ。5000字進んだ。いいペース。
昼寝をした。
16時ころからアイドルタイムプリパラ第11話「投げろ!アイドルタイムグランプリ」とエロマンガ先生#10「和泉マサムネと年下の先輩」を観た。
プリパラは本当は10話のにのちゃんライブをもう一度観たかったのだけど、10話の無料配信が終わって11話の配信が始まっていたのでこちらを観た。今回もにのちゃん回。虹色にのちゃんかなり好きと自覚。夢川ゆいさんは今回主人公っぽかった(いつも主人公)。
エロマンガ先生はムラマサ先輩回。ムラマサちゃん、中学生だったんだ。高校生だと思ってた。本編でエロマンガ先生が一度も素顔を観せなかった気がする。
ほかはとくになにもない。雨が降った。ちょっと気温が上がった。

2017年6月15日木曜日

6月15日の日記:レジュメ、虹色にのちゃん

曇りのち晴れ。涼しい。
レジュメを3000字書く。全体がたぶん2万字強くらいになるはずで、今8000字なので、あと12,000字。1日2Kのペースで継続して書けるとしたら6日間で完成する。もうちょっと早く終わらせたい。そんなにうまくいくだろうか。うーん。

今朝は夢をいくつかみて、そのうちのひとつで私は幼児だった。幼児の私は癇癪を起こして、母が大切にしている姿見を割ってしまい、悲しませた。私は罪悪感によってうずくまり、硬直した。母は姿見を片付け、もと姿見のかけてあった壁に絵を飾った。私は母が壊れた姿見を捨てないといいと願うが、どうしようもない。
現実にも母には長年使用している姿見があるが、しかしそれを特別に大事にしている様子はない。夢の中には亡くなった家族も登場していた。

夕方にアイドルタイムプリパラ第10話の、にのちゃんのライブシーン前後だけを観る。今まで気づいていなかったけれど、虹色にのちゃんは頬の赤さが強調されていてかわいい。プリパラ内でのシルエットなどは〈物語〉シリーズの斧乃木余接さんの印象に近いと思った。かわいい。

今日はまだ明るいけどこれで終わり。

2017年6月14日水曜日

6月14日の日記:図書館、世界ネコ歩き

図書館で重い本を3冊、雑誌を1冊借りた。帰り道カバンが重すぎて泣けた。泣いてない。
帰宅後に雑誌から論文を一編スキャンしてPDFにした。紙が古色蒼然としすぎていて、スキャナの調整に手間取る(暗くすると全体が影になって見えないし、明るくすると文字が白飛びする)。古い雑誌のPDFの文字がかすれていて読みにくいわけがよくわかった。

家に帰る途中、スーパーをうろうろしたけれど買いたいものがなかった。カップのバターチキンカレーをまだ探しているけどたぶんもう見つからない。本屋でアントナン・アルトーの新しい文庫(『タラウマラ』宇野邦一訳、河出書房新社)を見つけてほしいなあと思ったけど買わずに帰る。あと、筑摩書房の木村英樹『中国語はじめの一歩〔新版〕』と吉田久一『近現代仏教の歴史』も読みたい。近代仏教関連の本が近年よく出版されているっぽい?

夕食後に世界ネコ歩きのコッツウォルズの回を見る。冒頭の仲のいい猫のきょうだいがよかった。

2017年6月13日火曜日

6月13日の日記:文房具屋、アイドルタイムプリパラ10話、テスタメントシュピーゲル3上

曇り時々雨。寒い。午前中は文房具屋へ行って名刺サイズの情報カードを買った。100枚入りを2セット書いたかったのだけどひとつしかなかった。帰り道七森中☆ごらく部の歌を聴いて楽しくなった。じょうだんと思われるかもしれませんが、私はアニメの歌を聴くと敬虔な気持ちになります。

文献の整理。レジュメ。いろいろ間に合わない。

本をコピーしながらアイドルタイムプリパラ第10話「助っ人アイドル始めたっす!」を視聴。虹色にのちゃんかわいい。ライブもよかった。

晩御飯のあとにウォーキング。右足が痛かったのですぐに帰ってきた。

昨晩冲方丁『テスタメントシュピーゲル3上』を読了。主人公側の反転攻勢。全部のピースが揃っていく。おもしろかったけれど、ちょっとこの巻だけでは展開の起伏が足りなく感じたかも。雛さんに友達(?)ができてよかった。すっかりたくましいアウトローに。あと、涼月の「あたくし様」って台詞ぜったい言うと思った〜よかった〜。


2017年6月12日月曜日

6月12日の日記:文献整理

晴れ。と思う。外に出ていない。快晴かも。
午前中からレジュメのための文献整理。整理していくうちに、参照すべき文献の数がどんどん増えていく。参考文献リストが100行くらいになってしまった。これでもまだ全部じゃない。残り時間を考えると、現実的にはそんなにたくさんの文献を利用できるはずがないので、これからどんどん切り詰めなければならない。どんどん間に合わないような気がしてきたけどたぶん大丈夫。
名刺サイズの情報カードの在庫がなくなってしまったので明日買いに行く。

お昼はカップヌードル(シーフード)。野菜ジュースも飲んだ。

20分昼寝。眠れなかったので目をつむっただけ。

文献を整理したり内容をメモしたりする作業の合間に、テスタメントシュピーゲル3上を読む。

筋トレをしたくなったので17時頃からエロマンガ先生#9「妹と妖精の島」を観た(アニメを観ながら軽いダンベルを持ち上げる習慣)。レジュメが気になって内容がぜんぜん頭に入らない。エルフ先生のお兄さんが髪をセットしたままお風呂に浸かっていることに気づいた。
おやつにチョコブッセを食べた。

まだ明るいけど今日の日記はこれで終わり。

2017年6月11日日曜日

6月11日の日記:図書館、文献カード

晴れてさわやか、梅雨入りが嘘のよう。
午前中は図書館へ行き本を返したり借りたり。セブンイレブンでもちとろバニラを買って、これはおやつに食べた。最近コンビニのお菓子にはまりすぎている。帰り道の道路脇の植木の葉っぱの上におおきな芋虫がいた。

昼食後に30分昼寝。

文献カードに記録されていない文献がいくつもあることに気がついて午後はその整理をした。新たな文献を検索したりしているうちに夢中になって夕方になった。

今日はとくに他にはなにもしていない。
この2、3日少し寝付きが悪かった(布団に入ってから本を読んだせいだ)ので今日は早く寝たい。昼寝をしても夜に眠る時間が遅くなってしまってはよくない。読んでいた本はテスタメントシュピーゲル3上。面白くて寝不足になる。

2017年6月10日土曜日

6月10日の日記:運動会の音、扇風機、習字教室

くもり。朝から遠くの学校の運動会の音が聴こえる。スピーカーを通した音楽や号令はおろか、スピーカーを通さない大勢の「いちに、いちに」という掛け声まで。高い建物の多く、様々な騒音のある現代の都市環境においても声を合わせれば数キロさきまで肉声が届くのだから、おおむかしの平原での合戦の鬨の声などずいぶんとおくまで響いたことだろう。

10年使った扇風機が壊れたので新しいものを買っていただいた。電気屋に並ぶ扇風機たちは10年前のそれとは形が違っていて、すごくかっこよいというのではないけれど、今風でシンプルなデザインで好ましいなと思った(丸みが少なく、様々な円筒形の組み合わせでできている)。DCモーターの恩恵で音も静かで消費電力も安いとのこと。ありがたい。
リヴィング用のLEDシーリングライトも選ぶ。店員にのせられる。店員に上手にのせられて決めてしまう買い物は楽しい。

あいかわらずのメモとノート作り。やればやるほど面白いけれど、そろそろ切り上げて文章を書かなきゃいけないんだよなあと頭の片隅の思案。だんだん現実逃避めいてくる。

夕方は習字教室で行書を書く。数年前に進学したことを今さら(偶然と他のお弟子さんの親切心から)先生に打ち明けることができて、先生からは「心配していたけれど私からは訊ねにくかった。それを聞いて安心した」とコメントをいただいた。心配してくれているのかなとなんとはなしに思いつつも、報告さしあげるタイミングを逃してしまいここまできたわけで、私としても喉につっかえているようなところがあったから、そのつっかえがとれてよかった。字も比較的気持ちよく書けたので、愉快な気持ちで帰る。

2017年6月9日金曜日

6月9日の日記:メモ作り、昼寝、タモリ倶楽部

日差しもありつつのくもり、夜は雷雨。湿度50%強の夏日。

今日もメモとノート作り。先行研究に乗っかって、それを批判するという方向を考える。面白い話がいろいろ出てきてよろこぶ。

昼食後にエアコンをかけて布団を敷いて昼寝。布団を敷くことを「ふとんをひく」と言ってしまうのは関東のことばと思っていたけど逆で関西のほうが「ひく」で関東は「しく」らしい。本当ですか。昼寝はしたほうが調子がよくなるのでなるべくしたい。

『花に染む』の最終巻を読もうと思ったけれど、なんとなくこわくてやっぱりやめる。花に染むの主人公花乃さんのことをジェネリック山崎宗介として見ているところがあるのだけど他人には通じない見方かもしれない。

夕食後にタモリ倶楽部の「役に立たない機械」の後編。空耳アワーの賞品を示す装置も役に立たない機械だと思う。あんた舐めろ。

今日はキットカット一個、パインアップル、バニラアイスを食べた。

2017年6月8日木曜日

6月8日の日記:スズメ、スプライトシュピーゲル、エロマンガ先生

くもり、雨、晴れ。ちょっとむしむし。へんな天気だけどへんなままに。

電車内で近くの人々に大きな声で会話されると特別不快になる理由の考察。逃れられないから。(私はもともと人間が会話しているのを聞くのが好きではない)

スズメにご飯を上げた。私が現れるとスズメたちが近くに寄ってきてくれるような気がしてちょっとうれしい気持ちはあるけれどそれは気のせいかもしれない、彼らは人間なら誰にでも近寄るのかも知れず、また人間など眼中になく好き勝手に跳ね回っているだけかもしれない。それでも大勢の小鳥を間近で見られるのはうれしい。今日は手から直接ごはんを食べてもらえた。野生動物に餌を与えることの是非。(よくない感じはする)
昨日はネズミを見て、ネズミが特別嫌いなわけではないけれど、でも野生のネズミに食べ物を与えようとは思ったことがないな。

スプライトシュピーゲル4巻を読み終えたので、今日はテスタメントシュピーゲル3の上巻を読む。混乱した街を走る機関車。
シュピーゲル・シリーズがアニメ化した際の声優は誰がいいか勝手に考えるなどする。涼月は悠木碧さん、夕霧は黒沢ともよさん、鳳は斎藤千和さん、乙は田村ゆかりさん、MPB副長は平川大輔さん(もっと神経質そうな声質のかたがいいかもしれない)、シャーリーンは林原めぐみさん。どうでしょうか。それにしても私は、原作を先に読んだ作品の翻案(アニメ化、実写化、小説化、漫画化)は消費しないルールを自分に課しているので、シュピーゲル・シリーズが本当にアニメ化したとして、そのときそのアニメを観ないだろうとは思われるのですが、それでもアニメ化した様子を考えると楽しい。

そのような(先に原作を読んでいるアニメは観ない)自己ルールがあるので、アニメ化しそうな作品は、アニメ化するまで待つ、などの手を思いつくようになりました。困ったものなのが、1クールアニメで原作の途中までを映像化するような場合、2期が放送されるまでに原作を全部読んでしまうか、映像化されていない部分は読まないで置くべきか、このあたりの判断がつかないことです。翻案物を消費したあとに原作を読むのはぜんぜんありです。

午後にはエロマンガ先生#8「夢見る紗霧と夏花火」と#9「妹と妖精の島」を視聴。9話は山田エルフ先生メインのバカンス回。タイトルロゴまでいじられててうわあーとなった。8話で出てきた和泉先生と同業者の獅童国光先生は、8話も9話も好ましくないシーンばかり印象に残ってしまってどう思えばいいのかわからない。公式サイトのキャラクター紹介のページにもいないしメインの登場人物ではないのかもしれない。次回は千住ムラマサ先生回。

カップのヨーグルトとキットカット個包装一袋とバナナ一本とお米ほろほろひとつとバナナアイスを食べた。今日も間食しすぎ。
夕食はイベリコ豚のロールキャベツ(!)。脂の甘味があっておいしかった。

図です。

2017年6月7日水曜日

6月7日の日記:ゼミ、スプライトシュピーゲル、ウォーキング

くもり。もっと涼しいかと思ったけど意外と暑かった。喉が渇いたので自販機のポカリスエットを購入。150円。

ゼミに出た。図書館で本を返して、借りた。

電車で本を読んだ。冲方丁のスプライトシュピーゲル4巻。もうすぐ読み終わる。これの次は、テスタメントシュピーゲル3上まで飛ばす。

帰宅後、借りてきた本をスキャンしたりメモしたり。
自分の頭で考えたと思ったことが、先行研究に既に書かれているのを発見してうわあーとなる。発見してよかったけど発見したくなかった。

夕食後にウォーキング。

2017年6月6日火曜日

6月6日の日記:レジュメ、さつまりこ黒蜜きなこ味、アイドルタイムプリパラ

メモとノート作り。レジュメの序文も書き始める。書いている間も苦しいし、書いてない間もストレスになる。間に合うのかどうか、ということが不安の種になるし、たぶん間に合うだろうけど、間に合わせるためのこれからの根の詰め方を考えると憂鬱になるし、発表当日の人びとの視線や、発表内容へのツッコミを思うとどんどん自信がなくなる。前に発表をしたときはブルーな気持ちが一ヶ月間続いた。

お昼にさつまりこの黒蜜きなこ味を食べた。黒蜜ときなこの風味がしっかりしておいしい。今まで食べたさつまりこのなかで一番好きな味かもしれない。

午後はアイドルタイムプリパラ第8話「ライスをねらえ!」と第9話「おしゃれスタジオ始めたっての」を観た。にのちゃんとちあこがかわいい。チアガール部のツンデレ口調の子(なんだからね)より、ちあこの方がツンデレじゃない? 頑固な寿司職人。ちあこいちおし。

夜はマツコの知らない世界の水族館の特集を観た。観ながらアイスモナカを食べた。間食をしすぎかもしれない。
ダンベルを持ち上げてから寝る。

2017年6月5日月曜日

6月5日の日記:あじさい、レジュメ、買い物

晴れて涼しい。北関東でもあじさいの蕾が開き始めた。南より一・二週間は遅い。
レジュメのためのメモとノート作り。今日はよく進んで、昨日の遅れを取り戻せたことと思う。作業が進展したことによってかえって明らかになったのだが、このまま計画通りに資料の収集、分析、レジュメの文章作成をしていくと、どうやら時間が大幅に足りないことがわかった。仕方がないので、先日から考えていた一次資料を本格的に扱うのは次回にまわして今回は参考程度に留めることとし、レジュメの計画の規模を縮小して今手元にある文献だけでどうにかするしかない。

午後は散歩がてら買い物。情報カード、ボールペン(Signo)の替芯と、値下げ処分品となっていたじゃがりこの塩レモン味とオリーブ&ガーリックを購入。じゃがりこを買うペース>食べるペースなので、家にじゃがりこがたまってる。

夕食後にウォーキング。シロツメクサの群生を確認。

デスクトップの背景をエロマンガ先生のキャプチャにした。#1の「触らないで」のカット。この前後のやりとり(「けっこう片付いてるな」「うん」「えらいぞ(紗霧の頭に手を置く)」「……ないで」「ん?子ども扱いしないで?」「さわらないで!」「あはは……」「そこに座って」「やっぱり触って?」「そこに、座って!」)は、#1時点では和泉正宗のラノベ主人公的な難聴となれなれしさをあらわすシーンと思って流してしまうけど、あとになってから見返すと、赤の他人の異性として和泉正宗に接してる紗霧さんと、家族として和泉紗霧に接してる和泉先生のズレがどうしようもなく表出してしまっていることに気づく味わい深いシーンなんですね。
家族愛ごっこの和泉先生と異性愛ごっこのエロマンガ先生の異種格闘技戦。





2017年6月4日日曜日

6月4日の日記:草むしり、ラーメン、お米ほろほろ

午前中は家の周りの草むしり。以前は私が土を踏み、草を抜くたびに命が失われていくことを恐れたけど、今は特になにも感じない。感じないことがいいことだとも思わない。

お昼はラーメン。
おやつに「お米ほろほろ」というお菓子を食べて、これが感動するほどおいしかった。ほろほろと溶ける。あまい。おいしい。

お昼前にメモづくりをした以外は、今日はぜんぜん勉強できてない。
Twitter見すぎた。

今日はもうおしまい。

2017年6月3日土曜日

6月3日の日記:バターチキンカレー、ツバメの巣、もちぷにゃ

涼しい風が吹いていて気持ちがよかった。夏が終わってしまったかのようだけど、中旬にもなれば梅雨入りして、いずれ風が涼しいなんて思えなくなるだろう。

晴れていたので午前中は布団を干して、掃除。
そのあとは今日もレジュメのためのメモとノート作り。

お昼にはレトルトのバターチキンカレーを食べた。神田のmandaraというお店の味を再現したカレーだそうで、たしかにお店っぽい味だった。思ったより辛くておいしかった。モナカアイスも食べた。

夕方に散歩。子育て中のツバメが巣に飛び込んでいくところを見かけた。ツバメはたいてい家の軒下に巣作りをするけど、人間が軒下のある家をたくさん建てるよりもまえの時代はどこで暮らしていたのだろう。おおきな木? 崖?

セブンイレブンで「もちぷにゃ」というお菓子を購入。家に持ち帰って食べる。クレープのようなもちもちした生地にクリームがつつまれていてなかなかおいしい。でも少し前に食べた「もちとろバニラ」の方が、常温の「雪見だいふく」感があって好きだったかも。
クレープという食べ物は好きなんだけど、よく考えてみると今までちゃんとおいしいクレープを食べた記憶がない。私はなにが好きなんだろう。クレープの概念を愛している。私が食べたのがたまたまそれほどでもないクレープだっただけで、クレープ自体のポテンシャルは高いはずなんだと信じていたい。


2017年6月2日金曜日

6月2日の日記:資料閲覧、〜のためには、テスタメントシュピーゲル最終巻7月1日発売

今日は暑い!と覚悟して出かけたのにそうでもなかった。どうして? 夏もう終わっちゃった?
昨日書いた、面倒な場所にある本を見に行った。とりあえず2冊参照する。すごく役に立ちそうな気もするし、そうではない気もする。時間があまりなかったので、とりあえず目次と、これはと思った箇所をメモして、今日のところは立ち去る。来週の水曜?か木曜ならもう少し時間をかけられるはず。

授業に出た。面白かった。

往復の電車の中ではTwitterばかり観ていて、勉強もしなかったし、読書もしなかった。

帰宅後に「劇場版 Free!-Timeless Medley- 約束」の予告を観た。明朝体の「蘇る、あの日の幻影」ってテロップに動揺。

正しい用法なのに個人的に違和感がある日本語の話。
「(人名)にとっては」の意味で「(人名)のためには」という表現をする例を、森鷗外の『渋江抽斎』で読んで、不思議に思っていた。「抽斎はわたくしのためには畏敬すべき人である」みたいなやつ。なんだかへんな感じがする。
書いたのが鷗外だから、てっきりドイツ語の語法を日本語に置き換えて使っているのだと思っていた。のだけど、今日たまたま明治以前の日本語の文章でこの「ためには」の用例を発見して、普通に昔からある表現だったんだ、と驚いた。
「ため(為)」を『大辞林』(三省堂、1988年)で引くと、3番目の用法として「ある物事に関することを表す。…にとって。…に関して。『君の—よくない』『彼の—には育ての親に当たる人』」とあるし、辞書にも掲載されてる完全に普通の言葉遣いらしい。なんで知らなかったんだろう。だけど、これを知ってもなお、「ため」という言葉はどうしても「役に立つ、利益になる」という意味に思えて、「について」という意味とは思えない。
こういう言葉は他にもあって、受動文などの動作の主体をあらわす格助辞(詞)カラにどうしてもなじめなくて、文章や会話でそれに行き当たると、そこは〜ニであるべきじゃないかとおもってしまう。でも同じく大辞林で調べると、「から」の5番目の用法として「動作・作用の出どころを表す。『君—聞いた話』『おやじ—おこられた』」とあって、「に」の7番目の用法「動作・作用の起こるみなもとを表す。『人—ぶたれる』『盗人—金をとられる』」と同じ意味だ。それはわかっているんだけど、なぜか私には〜カラというのは動作の主体というより、場所をあらわす助辞のように思えるんですよね。「駅から5分」みたいに。
なぜだろう。

夕食に餃子を食べた。餃子は好き。栃木県民なので(関係ない)。
その後にタモリ倶楽部を観る。早稲田大学の学生が作った役に立たない機械。

テスタメントシュピーゲル3下 (最終巻)の発売日が決まったらしくて楽しみ。今年の7月1日。
冲方丁は「最後のライトノベル」と言ってるらしいけど、そんなこと言わずまた書いてよと思ってる。今はやめるつもりでも、大江健三郎だって何度も(?)断筆してるんだし、冲方丁もそのうちまたライトノベルを書き始めるかもしれない。

2017年6月1日木曜日

6月1日の日記:レジュメ、アイスモナカ、エロマンガ先生と「家族」対「好きなひとのお嫁さん」

雨が降ったり止んだり晴れたりまた降ったり。
先日に続いてメモとノート作り。この段階は作業としては一番楽しいところ。これらを素材として文章化する段階になって苦しみがやってくる。文章化は自我が論理に攻められる過程。
レジュメに書く内容はかなりはっきりしてきたが、まだ材料が足りない。主張の根拠になる一次資料が全くない。エビデンスとは。
一次資料になりそうなものは見当をつけているのだけど、参照が面倒な場所(物理)にあって、先延ばしにしている。明日がんばる。

お昼にコープ(生協)のアイスモナカを食べた。すごくおいしかった。なぜおいしいのか考えたのだけど、最中の内部のバニラアイスに微細な気泡がたくさん含まれていて、それが適度なかたさ/やわらかさと綿のような食感、口溶けのよさを生んでいるのだと思う。アイスモナカはよい食べ物。幼時、家族と公園に行った日に食べさせてもらった記憶。

夕方にエロマンガ先生#8「夢見る紗霧と夏花火」を再視聴して、それから#8ラストの「家族」をめぐる会話が気になって#1「妹と開かずの間」を観た。エロマンガ先生=和泉紗霧さんと和泉マサムネ先生とは兄妹とは言っても義理の兄妹だし、最初から二人は性愛の意味で愛し合っているように見えるし、妹萌えとか近親愛はブラフで普通の男女愛じゃん、と思っていたのだけど、そうではないんだなということが#8ではっきりしてきた。
「やっとわかった。兄さんは家族が欲しいんだ」
「うん、俺は家族が欲しい」
「私は、兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがないから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」
(#8「夢見る紗霧と夏花火」)
「……家族なの? 私たちは」
「そうだろ。こうして一緒に暮らしてるんだからな」
「……そう。私はそう思ってない。一緒に暮らしていることを、家族とは言わないもの」
「……?」
(#1「妹と開かずの間」)
和泉先生が初めて「妹」の部屋に入った#1と、#8の打ち上げの疑似家族的な共食の後に交わされる、対応・反復する家族をめぐる問答。
#1の時点では、和泉先生の台詞は単に、ヒロインの望む言葉(恋人)を与えないラノベ主人公的言動かと思っていたのだけど#8ラストの吐露によって、それが文字通りの意味での本音だったことが了解できる。そういう和泉先生の感情(家族への執着)の側から二人の関係を追ってみると、「兄妹 」がブラフなんじゃなくて、むしろ和泉先生から紗霧さんへの異性愛の方がミスリードだったんじゃないかと思えてくる。
そもそも最初から和泉先生はちょっとへんで、いくら義理の妹で、そのうえ運命的な恋の予感を感じているのだとしても(#1冒頭の演出はそういう風に見える)、一度顔を合わせて短い会話しただけの相手が、それ以来一度も再会することなくそれでいて一つ屋根の下に二人きりでずっといるなんて、普通なら気まずくて気持ちの悪いシチュエーションだと思う。でも「家族」に執着している和泉先生にとってはそれで全然よくて、「家族」である誰かが同じ家に生きているということ、それだけでその「家族」を愛する理由になるのかもしれない。たとえわがままな引きこもりでも。むしろ「妹」が引きこもりであることは、どこかよそに行って死ぬ可能性がない分、安心できるのかも。だから部屋から引きずり出そうとはしないし、学校に行かせようとも思わない。それで満足している。そして現在の「家族」としての生活をいつまでも守りたいと思っている。はっきり言って気持ちが悪い。
和泉先生にとっては、自分の「家族」であるということは、それだけで愛する理由になる。だからたとえば1年前に実の父親が連れてきたのが紗霧さんではない別の人間だったとしたら、たぶん和泉先生はその「妹」を「家族」として受け入れ、現に「妹」である紗霧さんを愛しているように愛しただろう。そういう事実がたぶん和泉紗霧を苛立させる。
「兄さんの妹になんてなりたくない」と言う紗霧さんは、小説家としての和泉マサムネ先生にずっと昔から恋をしていて、その彼と一つ屋根の下で暮らすことになったことに運命を感じている。「やっぱり、兄さんが和泉マサムネ先生だったのね。(…)同じ名前だなって思ってただけ。本当に同一人物だなんて、どんな確率なの」

紗霧さんは#1からずっと兄さん=和泉先生を「異性」として意識しているそぶりを見せている。それに対して和泉先生は妹=紗霧=エロマンガ先生の頭を撫でたり、自分より年少の「家族」として交流しようとする。
和泉先生は年少の「妹」にエッチなイラストを描かせていたことを謝罪するが、「兄さん」を異性として意識しているエロマンガ先生は「エッチ」という言葉に反応して切れる。兄さんのバカ!にぶちん!ラノベ主人公!
うーん葛藤!
私は、このアニメどうするのかなと心配していたんですよ。
両思いが#4の時点ですでに確定してるわけだし、和泉先生が勘違いでフラれたの思っているのだとしても、その勘違いを引っ張るだけでこれからラブコメ続けるの?どうなんだそれは、と思っていました。
でもエロマンガ先生のラブコメとしての核心は、どうやらその勘違いだけではなくて、「家族愛」と「性愛」の排他性、「妹」を一方では異性として見ながらもそれよりも「家族」になりたい和泉マサムネと、「好きなひとのお嫁さんになりたい」から「家族」になんてなりたくない和泉紗霧さんとの対立にあったんですね。擬制としての近代家族と、男女の自由恋愛イデオロギーと、肉体と感情をもった実存との相克・三つ巴じゃん。やるじゃん、『エロマンガ先生』。
昨日の日記では「エロマンガ先生以外へのルートには進まなそう」とか「悪く言えば緊張感にかけるし、よく言えば安心して観られる」と言ったけど、この調子だと和泉先生とエロマンガ先生の「恋愛」がどうなるのかすらわからないのでは?と思い直す。和泉先生は紗霧に妹=家族を求めるし、エロマンガ先生は兄さんを恋愛対象として見つつ(「私は好きなひとのお嫁さんになりたい」)も一時的に家族を演じる(「ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」)。同原作者の前作『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』も、解釈次第では「家族愛」が「性愛(近親愛)」に勝ったとも言える(兄は最後まで妹を性愛の対象として見てなかったかも)し、『エロマンガ先生』も和泉正宗−紗霧の間で最後に勝つのは「家族愛」で、「異性愛」の対象としては和泉先生は他の任意の誰かを選ぶのかもしれない。エロマンガ先生がどんなに和泉先生を愛しても、和泉先生は妹=紗霧=エロマンガ先生を家族として愛するがゆえに、その愛に気づかないのだ。ラノベ主人公的にではなくむしろ主体的に、あえて気づかないふりをする。わはは。
ところで、山田エルフ先生は売れっ子作家だからてっきり学校なんて行ってないのかと思っていたけど、ちゃんと高校?中学?に籍を置いていて、学生をやっているようなので安心しました。「てか、どうしたの、今日のあんた素直じゃない? エルフ先生に惚れちゃった?」「惚れてない。けど、おまえが俺の姉貴だったらよかったのな、って」「……(デコピン)」「いてっ!」「……あんたみたいな弟いらないわ。ふ、ばか!」って一体何なんだ。なんなのだいったい。

夜は先日途中まで観たプロフェッショナル仕事の流儀の続きを観た。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。猫が若い大型犬に乗ってフミフミする画を撮れてご満悦の岩合さん。プロフェッショナル仕事の流儀は最後にかならず困難が起きて、それが解決して、テーマ曲が流れて終わるな、と思った。